透明なカラーチャート

こだちと言います。共感覚や霊視?など感覚が鋭すぎてちょっと困っているので解決方法を探るためにブログを初めました。少しずつやっていきます。

「分かろうとする手段」

人に嫌な思いをさせてしまった。

まず一番に書いておくのは
「今、嫌な気持ちにさせた自分が悪い」ということ

それを念頭に置いて今からどうしたらもう嫌な気持ちにさせないか書く



「人」が前にいなかった。
自分が喋る言葉の前に人はいなかった。

自分一人で喋っていた。
独り言を言っていた。

どうしてわからなかったんだろう


人は「わかる」ものじゃない
人は「食べる」ものじゃない
分かり合う「人」だ

自分だけがその人のことをわかったつもりになって「うんうんなるほどねあなたはこういう人ね」
と言っていた

いろんな方にすごく嫌な思いをさせたと感じる
それに今気がついた
気がつかなかった


わからないとダメだと思っていた
わかってわかってわからないとダメだと思っていた

人をみてその人の心が分かるわけないのに


どうして思考回路にいるのか

ごめんなさいごめんなさいと謝る思考もあの人のものなのか

「自分と人との境界線がわからない」

そうだ、境界線がわからないんだ
だから人の心の線を踏んでその中に勝手に侵入していた

それはやってはいけないことだった

今までそれしかしたことがなかった
あの人と自分だけの世界だった
だから、嫌な気持ちにさせてしまった


怖い
申し訳ない
また怒られると思う
この思考こそが、支配されている

どうしたら治るのか

怖い
申し訳ない
嫌な気持ちにさせてしまった

これではダメだ
ダメなんだ

わからない
でも、また人を嫌な気持ちにしたくない

考えないと

愛すべき全て。

「愛」とは何か。


わからない。
結論出てしまったな。

原始の海が生まれ、原始の生物が生まれた昔々。
「愛」とはなんだったのか。

人間は愛をなんとか表現しようとする。
絵だったり、詞だったり、例えばそれは、一輪の花だったり。

愛とは何か。

愛すべき全てとは何か。

「私」だよ。
生命皆全て「私」。
大きな大きな「自己愛」。

原始の海の「私」から酸素が生まれ、

ジュラ紀の「私」が絶滅し、

猿人の「私」が道具を使い、

人間の「私」がブログを書く。


今日はホワイトデー。
偶然にも「愛の日」だった。
気が狂うのも当然か。

人は人を映す鏡であるということ。

春崎エアルさんという方がいる。
その方は王子さまだ。
その方と向き合う時、私は「家来」になってしまう。


人によって対応を変えることはすごく重要なことだ。
子どもやお年寄りなら優しく分かりやすい言葉で。
友達なら砕けた口調で。
話し方を変えることによって「関係性」というものがうまくいく。

何でなのかはわからない。
多分生まれ持った性質だろう。
私は「鏡」になれるらしい。

そうだ。人間は皆、「鏡」になる。
自分にとって利益をもたらす人、優しくしてくれた人には優しくする。
辛く当たってきた人や意地悪をしてきた人には同じように意地悪をする。

人間は鏡だ。
良いことには良いことを。
悪いことには悪いことを反射する。

そして人間は鏡がないと自分というものを観測できない。
つまり他人という鏡がないと自分を見ることができない。

そして気がついた。
自分は「反射しすぎてしまう鏡」なのではないかと。

良いことには良いことを。
よく言うよね。
「目には目を。歯には歯を。」
自分は
「目には眼鏡を。歯には歯磨きを。」
をしてしまうらしい。

つまり「王子には家来を。」だ。
相手は特に家来を必要だと言っている訳ではない
だけど、多分ね、怖いんだ。

「王子には私という家来をつけないと殺される」という環境で生きてきた。

その影響だろう。
そしてそれを「強く引き出される人」がいるということに気がついた。
例えばそれは高圧的な人だったりするのかもしれない。(まだ検証を重ねていないのではっきりとは言えない。)

人と向き合う時、全くなんともならない人もいる。
だけど「ある人」と向き合うと自分は反射しすぎてしまう鏡になる。
何故そうなるのかはわかっていない。

検証してみたい。
どうしてそうなるのかわかりたい。

これから観察をする。
わかってきたらまた書こうと思う。

初めて意識する水星逆行。

Twitterで体調が悪くて入院している方などを観測した。
フォロワーさんを見ていて体調悪い人も観測した。
嫌な気持ちになっている方もいた。

やはり影響が出やすいらしい。

「見直す」
それが今「水星逆行」なんだね。

入院して「自分は頑張りすぎていたな」などと気がつく。
そして見直す。

過去を清算して未来へ進むための準備をする。

それにしても意識してみると影響を受けている方多い
(Twitterは不特定多数の日常、そして「日常の異常」を見るのにすごく便利だということに今回気がついた。)

「過去もきちんと連れていく」とはこういうことかと気がつかされた。
「過去をなかったことにしない」「過去と地続きで今はある」ということ。

「作るために壊す」。
何かを作るには空き容量が必要だ。
物でパンパンの鞄に新しい物は詰められない。

水星逆行の「壊す」はやっぱり子どもみたいだ。
大人はなかなか壊すことができない。
今まで積み上げてきたものを壊すことはすごく怖いから。
積み上げた積み木をドジャーンと崩す水星という子どもの形を自分の身で観測できた。
これは素晴らしいことだ。
そしてそれを肌で体感できた。すごくうれしい!

水星逆行というものを知らなかったらただ「季節の変わり目で調子悪いな」だけだっただろう。
でも確実に季節の変わり目だけではない「形」が視える。
空気に水星逆行の味がする感覚。

最高に面白い!!!そして楽しい!





今、自分は水星逆行を観測できている。
観測できていない、こういう現象が起こりやすいと知らない人も沢山いるだろう。

知っていることで誰かを応援できるならそれはすごくいい考えだ。

くるぞ!水星逆行!

水星逆行というものが3/6にくると知った。

なんだか調べてみると機械の調子が悪くなったり、伝えたいことがうまく噛み合わなかったりするらしなんだかみんなうまくいかなくなるんだって。

水星逆行がくるのは3月6日だけどもう自分の身体は感じている。
「水星逆行くるぞ!」と。




なんだか自分は水星逆行と相性がいいみたい。
最近身体がふわふわして神社さんやお寺さんにいる時のような心地になりはじめている。
すごく心地がいい。

3月4日(月)今日もまたそんな感覚が強くなってきた。
眠くて眠くてたまらなくて、でも気持ちよくふわふわしているから苦しくない。
水星逆行は過去のことを思い出す、思い出させると読んだけど本当にそんな感じ。

水星逆行は悪いことではなく、もしかしたらみんなを休めるための休憩時間なのかなと思いはじめた。

みんな強制的にゆっくりになって、まるで川の流れに沿って「流されてゆく」ような心地よさ。
「あぁ~気持ちいい~」とみんながなっていく。
(その流れに無理に逆らおうとするともしかしたら水の強さにやられてしまうのかもしれない。)

だから機械は「あ、あれ?流されるということがらはインプットされていないぞ?あれ、あれれ?」と故障するのかも。


すごく動物的。
例えるなら「熊の冬眠」。
山の熊が一斉に「よし!寒くなってきたから脂肪を身体に蓄えて冬眠するか!」って感じ。
でも冬眠は熊が「いっせーのせで冬眠しようね!」といってするものではない。
冬という「巡り」がやって来て、食べるものがなくてだから熊は冬眠する。
それと似ている。

水星逆行という「巡り」。
これは下手に逆らおうとするとダメだなと気がついた。
川の流れに沿うように。身を任せる。
そうすることによって身体を傷つけることなく流れていける。そんな時期なのかなと身体が言っている。

それにしてもここまで強いか!水星逆行!
年に三回はあるらしいんだけど多分今まで水星逆行と知らなかっただけで影響すごく受けていたんだろうな。
強い!まるで子守唄のようだ。
その歌を聴くだけで確実に眠りに誘われる。

「水の流れ」「冬眠」「子守唄」
水星のことはよく知らないけど、他の星に比べて何度も逆行するようだし「自分の子供の頃の星」という感じを受けるな。

自分が子供の頃に父や母に不満を抱いていたこと。大人になって忘れてしまっているけど水星はそれを「過去の自分の姿」となって思い出させてくれる。

「駄菓子屋さんで100円あれば大満足だった子供の頃」と「子供にはまだ早いと言われてそんな大人が羨ましくて泣いた子供の頃」を一緒に連れてくるのが水星逆行なのかなと感じている。





水星逆行というものを初めて知って初めて体験する。
まだ逆行していないのにもうガンガン実感している。

星占いというものは面白いな。
これからもっと学んでいきたい。

明後日!すごく楽しみだ!

人間になる過程。

人間になりたい。

(妖怪人間ベムみたいだよね。
いつもそう思う。)

だから人間のことを観察する。

人間はきれいだ。
きらきらしている。
お化粧したり、おしゃべりしたり、歌ったり、絵を描いたりしている。
そして「それいいね~!」と人と人が交流している。

人間ってとっても楽しそう!
それができるようになりたい。

いや、できるのは今もできるんだけどね。
なんだか「真似してるだけ」なんだよね。

心から好きになるということがよくわからない。
好きがわからないから私の好きを好きになりようもない。
相手が好きなものも自分が好きだとそれは「共通点」になる。
共通点からまた好き合う。

「えっそれ好きなんですか!私も好きなんです!」
が全くできない。
やろうと思えばできるが、嘘をつくことになる。

だって「心の底から好きになる」ということがよくわからないから。

「みんな大好き!
全部大好き!
そして全部大嫌い!」

それが基本的な心のスタンス。
これは何年も自分の感情や心を観察してやっと見つけた「私」。


どうしたらいいんだろう。
わからない。
もっと心の底から好きになりたい。
わかりたい。そうして好きを見つけて好き合って。

そうして、私は人間になりたい。

人を食べるとき。(カニバリズム的なことではない)

魅力的な人に出会うと
「あぁ!この人食べたい!!!」
となる。

人肉を食べたいという意味ではなく感覚的なもので
「その人と一体になりたい」
という感じ。

肉体ではなく魂の重なり。
これは共感覚や霊視?の感覚に近くて何よりすごく心地いい。
恐らく私は「愛」を「食欲」を脳が混線していることによって間違えている。

別にお腹が減る訳ではない。
だけど「その人の味=形」がすごく欲しくなる。

共感覚は脳の混線が原因との説があるが、私はこの表現のできない感覚を恐らく今一番自分の中で近い「食欲」で表現している。
だから「食べたい!」と表現している。多分。


最近うれしいことに「食べたい!!!」と思える方によく出逢えて本当にありがたい。

今は「食べたい!」だけどもし本当に「食べた」時、私はどうなってしまうのか。
それにちょっと興味がある。

最近はまだ現実に会ったことのない有名人的な方に食欲がわいているから
もし相手が「反応を返す」というアクションをとってきたら私はどうなるのか。

ちょっと怖い。

もしかしたら夢中になりすぎて相手に狂って壊れてしまうかもしれない。
「食べたい」ではなく「食べてほしい」と相手に押し付けるようになってしまうかもしれない。

怖い。どうなるのかわからないから怖い。

とりあえずそう相手に押し付けることのないように自分を律したい。

この感情がなんなのか。知りたい。
知って満足感を得たい。
今、すごく飢えている。何か足りない。
だけど何が足りていないのかわからない。

美味しい人と出逢えた時のために、自分の感情を観察していきたい。